Part 1  ~新緑の5月に~

<コラボレーションについて>

 

 本活動「リサイタル・シリーズ」の大きな特徴のひとつは、他ジャンルとの共同作業です。主に美術(照明・映像)、そして身体表現(ダンス・舞)との共演を企画してきました。

元々「コラボレーション」とは、「協働する」「協力する」ことを意味しますが、2000年以降、エンターテインメントや、企業、小売業などの宣伝用に商業的な使われ方をされてから、一般にトレンディーなイメージが強く、そのため現在では、過去に流行した言葉またはスタイルと思われているかもしれません。しかしながら、例えば江戸時代初期に見られるような、書と画を同じ画面に配した光悦と宗達らの作品における共同作業の試み等は、コラボレーションの本来の姿を示す優れた芸術の手法であると思います。そこでは、各々が独立した表現でありながら、同じ目標に向かってバランスを保ちつつひとつの世界観を表し、出会いによって新たな様式が生まれています。

 

人の五感による認識

 さて、音楽は、時間の流れの中で聴覚によって認識され、また造形美術は、空間と共に視覚によって捉えられます。そして映像や身体表現は、時間・空間の双方に関係しています。しかし、私たちはこれらを1つまたは2つの感覚で捉えているわけではありません。音楽は、奏者にとっても聴き手にとっても、その時自分を取り巻く環境やシテュエーションに大いに影響を受け、他の感覚と共に総合的に認識されます。例えば、同じ曲でも異なった場所やタイミングで聴くと、全く違う印象を受けることがあります。絵画が置かれた場所が都会の美術館であるか、森の中の城館であるかには、見る者にとって大きな違いがあります。ひとつの表現は、他の表現や環境に働きかけ、互いに影響を受け、それを「ある時の私」は空間と時間の一回性の中で体験しています。つまり私たちには、コラボレーションを察知する感性(コミュニケーションの力と言い換えることもできるかもしれません)が備わっているのです。

 

◆発想

 オルガンは、伝統的にヨーロッパの教会とともに発展し、その音楽は、象徴的意味においても空間の響きにおいても、教会建築と一体になっています。ところが今日、オルガン音楽は教会以外の場、コンサート・ホール等で演奏されるようになりました。当然のことながら、音楽会は音楽を鑑賞する目的で人々が集まります。良い音響のもと、音楽そのものを作品として聴くために整えられた会場は、この目的に適っています。

 しかし私は、教会という環境と共に成立しその結びつきの強いオルガン音楽を「体験する」には、このやり方では不十分ではないか、と考えるようになりました。ただし、コンサート・ホールに教会の空間を再現することはできませんし、説明的な演出は逆効果となります。

 

◆手法

 そこで私は、プログラムの選曲にあたり、ある抽象的なテーマを設定し、他の表現者とその同じテーマを共有し、オルガンが響く「場」を音楽と一体化して表現することを試みました。そのテーマとは、例えば「移ろいゆくものと不変なもの」「光と影」「伝統と革新」「音楽とことば」「まなざしの交差」等です。これは、オルガン音楽がもつ宗教的、歴史的な内容を、宗教を超えて抽象化したテーマです。他の表現者はそれらの概念に独自にアプローチし、具体的な表現を創作します。そのとき、空間はもはや教会建築の制約からは離れ、むしろニュートラルなコンサート・ホールの素材を自由に使うことができるのです。

こうして各自が当日のパフォーマンスに臨み、表現の交差が実現した時、ひとつのカテゴリーの様式の限界を他者が代りに越える、或いは拡げる、といった感覚を得ることができます。音楽には造形や身体による限定されないイメージの展開、造形には音楽による時間的、空間的自由度の拡張といった、新たな可能性が生まれます。それは、説明とも融合とも異なる、感覚をまたぐ「旅」のようなものです。そして鑑賞者も、このように再現されたオルガン音楽が響く「場」と「意味」を、それぞれの感性によって「時」と共に体験することとなるのです。

 

 

◆展開

 この活動は、オルガン音楽を空間と一体となったものとして捉え、再現することを目標に2001年にスタートしました。試行錯誤を重ねるうち、私自身が、作品に内在する構築性や楽想の豊かさにこれまで以上に気付かされ、各作品を再体験することとなりました。そして、その懐の深さの中で、新たな切り口や発想から様々な表現を展開してきました。

 その過程では、ITテクノロジーも取り入れてきましたが、技術の進化は加速度を増し、人々を再び競争の中へと引き込んでいくように思えます。それは、アイディアや方法としては有効なパートナーとなりますが、知らず知らずのうちに人間を支配し、想像力や身体感覚、思考の麻痺に繋がる危険性をも孕んでいます。私たちはこのことに警戒し、時には立ち止まって自問自答することも必要なのではないでしょうか。

 

◆模索の未来へ

 現在の危機を乗り越え、私たちが新しい社会を創り出すために、芸術文化はどのような役割を担ってゆけるのでしょう。今の問題の難しさは、一部の人々を他の人々が支える、という構造ではなく、人類全員が当事者であるというものです。これはかつて経験したことのないスケールのもので、それゆえ私たちは不透明な未来に不安や心配を募らせています。

 そこで、次の一歩を踏み出すために必要なものは、人々が抱える多様な問題を互いに「理解する力」、自分の行動が全体に繋がっていることを意識させる「想像力」、そして新しい世界を創っていくためのさまざまな試行を見守り受け入れる「寛容さ」ではないかと思うのです。それらの力を芸術文化は強化させることが出来ると信じています。私たちの生活は、‘環境’と日々の‘出来事’によって形作られています。それらの経験は、芸術文化に触れることによって、より強く、深く、豊かに、自らの身体に取り込まれ、一貫性を持たせることが出来ます。「響き」と「場」の表現が、このような視点や感覚にインスピレーションをもたらし、これからの日々の活力となりますよう、この活動を通して提案して行きたいと思います。

 

2020.5.10

細川   久恵

 

Photo :細川久恵