311日 東日本大震災・福島原発事故から10

321日緊急事態宣言解除

 

Part 11 ~記憶の中の桜~

 

<光の中で語りかける風の音>

コロナ禍の中、東日本大震災から10年を迎えました。原発事故から1ヵ月余り経った頃、退去を余儀なくされ誰もいなくなった福島の町で、通行止めのバリケードの先に続いていた満開の桜並木の映像は、今も鮮明に目に焼き付いています。人間が犯してしまった過ちへの沈黙のまなざしのように、それは象徴的な光景でした。ふるさとの記憶は春の光と風、街のにぎわい、そして家族や親しい人々の笑顔とともに鮮やかに蘇ります。当時世界中からは、日本に向けて様々な形の励ましや支援をいただきました。その中で、公的なものから私的なものまで繰り返し送られた「私たちはあなたたちと共にいます。」というメッセージは、本当にあたたかく心に響きました。そして今は、世界中が同じ苦難の中にありますが、それを乗り越えるためにも友情や人と人との交流の連鎖に、私たちは何よりも勇気づけられます。そこに音楽や多くの文化がその橋渡しの役を担うことができると思います。

バッハという自然

 今回のプログラムの中心にはバッハの作品を据えました。ここで改めてバッハと向き合う時を持ちたいと思います。

 バッハの作品を演奏すると、たとえ小品であっても常に新しい課題や発見があります。またその音楽は如何なる意図も誇張も受け付けない、自己充足性と完成された建築美を持っています。19世紀のいわゆるバッハ復興以来の様々な研究や、歴史、地域、伝統による様式の理解、人物像など資料は数々ありますが、断面をいくら積み重ねたところで、その圧倒的存在の前で、私は時には途方にくれてしまいます。それは、人間の考えの及ばない自然の神秘を目の前にしたときに似ています。しかしながら、この雄大で深淵、全てを包み、全ての美を体現するバッハの音楽に触れることは悦びであり、いつも挑戦を続けたいと思うのです。

 私たちがバッハに対して持っているイメージは、敬虔なルター派キリスト教信仰を基盤として、宮廷と教会に奉職した巨匠、というものかもしれません。また、音楽面の業績においては、バッハ以前の各時代や地域の音楽を自らの作品の中に統一したと言われています。一般的に、私たちが作品に接する時には、書かれた年代や地域、それにまつわる様式や習慣、作曲者の人物像や社会的状況を知ることでより近づこうとします。特に記録が少ない古い時代のものに対しては、われわれはそれらに様々な解釈を行います。演奏者にもまた、作品に忠実であるために、その前提としての歴史的考察や技術が要求されます。客観的であろうとするこれらの態度は、「科学的思考」に基づいたアプローチであります。一方で、作曲者、演奏者、聴き手にはそれぞれ、個人が生きることにまつわる根源的問題があり、それは「芸術的思考」に繋がっています。この二つの思考はどちらも大切です。バッハ自身生涯を通じて類まれな勤勉さをもって、歴史、神学、哲学、数学などを通した論理的思考の下、創作を行っていました。それと同時に、自らの道を選択する際には、常に同じ指針に基づいて行動していました。聖ブラージウス教会を離れる際ミュールハウゼン市参事会宛に提出した辞職願には、自らの目的について、「神の栄光を賛美するための整った教会音楽を演奏すること」と述べています。この目標に適っているか否かは、彼にとって譲れない問題でありました。若くして確立していたこの明確な人生の目的は、生涯揺らぐことなく日々の生活や個々の作品の創作において貫かれました。もちろんそれは、ルター派の信仰から出発していますが、その創作活動は、究極的には特定の教派を越えて、普遍性、宇宙の多様性と調和を創造的に再構築してゆくこととなりました。この二つの「思考」は、バッハの中でしっかりと結びつき、彼の音楽に内在する‘部分と全体’の一貫性と同様に、日々と生涯は常に同じ方向を向いて歩んでいたのです。

 チェロ奏者のパブロ・カザルス(18761973)は、長い生涯の中で80年間毎日ピアノに向かい、バッハの《前奏曲とフーガ》を2曲弾くことによってその日一日を開始するということを習慣にしていました。「バッハを弾くことによってこの世に生を享けた歓びを私はあらたに認識する。人間であるという信じ難い驚きとともに、人生の驚異を知らされて胸がいっぱいになる。バッハの音楽は常に新しく、決して同じであることはない。バッハは自然と同じように一つの奇跡である。」彼は、故郷や移り住んだ土地の自然の風景と重ねて、このように話しています。

バッハという生命の樹

1829年、メンデルスゾーンによる《マタイ受難曲》の演奏をきっかけに、バッハの音楽への認識が新たにされました。音楽は演奏されて再現するものであり、そこにも時代性というものが関係してきます。ロマン主義時代には、バッハの抒情性に共鳴した主観的演奏がなされましたが、その後それを修正する動きと、歴史に忠実であろうとするオリジナル主義に代わっていきました。研究や考察と並んで、革新への道筋はつねに演奏者の「芸術的姿勢」から生み出され、時代を象徴する歴史的演奏として残っていきます。

それを可能にするのは、バッハの作品から直観的に感じられる普遍の秩序と、「日々新たに生まれる」再生の力ではないかと思うのです。バッハは、取り上げる伝統的様式に対し、あらゆる可能性を引き出し、深め、さらに新しいジャンルを開拓し、曲集の形にして残しました。それは、子供たちや弟子たちの教育のためでもあったのです。宮廷から要請されたものも教会用も世俗の曲も区別なく、与えられた課題に対し新たな目標を定め、そこに潜む法則を徹底的に引き出し、情熱をもってひとつひとつ克服していきました。時には既に書いた曲に手を入れ、また伝統にとらわれず新たな様式を創り出すといった柔軟な精神をもって取り組みました。それは、太い幹から数々の枝が伸び、それぞれの枝に豊かに葉が繁り実がなっている「生命の樹」を思い起こさせます。これこそが信仰に裏付けられたバッハの人生の目的であり、それゆえその音楽は時代や宗教をも越えてなお新しく、開かれた創造の可能性に満ちているのではないでしょうか。そして、バッハの樹は、彼の音楽を受け止めたすべての人々によってさらに成長を続けるのです。

バッハという光源

現代に求められるバッハとはいったい何でしょうか。

私たちの時代は、二つの思考のうち「科学的思考」が増大し、全体を支配しようとしているように見えます。つまり、証明できる根拠のあるものにしか価値を認めず、個人の問題は取るに足らないものとして無視される傾向にあります。聴衆は、理論に即した型どおりの演奏を求め、その結果演奏者も、概観的で格調高い、端正な演奏をするようになります。さらにコロナによる新日常では、聴き手同士はディスタンスを取り、「聴く」行為そのものにも制限が加わると、感情の表明や共鳴という楽しみも萎えて、個人の創造性は奥深く閉ざされてしまいそうです。

 バッハの生きた時代のドイツでは、長い戦争や疫病などにより人々は常に死と隣り合わせに生きていました。バッハの音楽の喜びや輝きの動機の中にはいつも、死の暗示が含まれています。そしてそれは、慰め、救い、愛へと導かれていきます。私たちも今コロナ禍にあって、日常のあやうさや不確かな未来ということに気付きました。また、人間の能力に限界があることも思い知らされました。先の見えない日々の中で、疲れ、失ったものを思い傷つき、不安に包まれ、それでも私たちは生きています。その時バッハの音楽は、私たちの思考のバランスを正し、この世界の美しさを指し示しながら、白夜の沈まない太陽のように静かに遠くから、鎮魂と再生への希望を送り続けています。

 自然の神秘を、自然の一部である人間が文化として再創造する――人間に備わった精神の力強さや可能性をここまで極め、成し遂げたバッハという‘奇跡の光’を、未来への励ましとして受け止め、新たな響きとの出会いを目指したいと思います。

 「私はあなたたちと共にいます。」というバッハのメッセージが心に届きますように!

                         20213.26.細川久恵

 

photo :細川久恵

 

〔参考〕

角倉一朗編 「現代のバッハ像」 白水社 1976

磯山雅著 「バッハ=魂のエヴァンゲリスト」 東京書籍 1985

アルバート・カーン編/吉田秀和・郷司敬吾訳 「パブロ・カザルス 喜びと悲しみ」朝日新聞社 1991

小林秀雄著 「モオツァルト・無常という事」 新潮社 1961