916日 菅内閣発足

Part 6 ~残陽~

 

<移りゆく光>

 音楽の始まりは‘旋律’(メロディ)にあります。古代ギリシャの学問は中世にキリスト教の修道院に伝えられ、その中の一つの科目である音楽は、数学や哲学などと共に言語との関係が深いものでした。祈りの典礼文は、朗唱というかたちの単旋で歌われていました。その‘旋律’は共同体の象徴としての役割を果たし、これが西洋音楽の原点となりました。

 12世紀頃北フランスに出現したゴシック教会群は、森を開墾して各地から移り住んだ人々が集まった都市から始まりました。巨大な建築物は、多様な民族が共存するための寛容さを表し、教会は民衆への教育の場でもありました。ここで、単旋聖歌と共に多声音楽や楽器が導入されます。その音楽は、建築と同様、秩序や一貫性に欠けるものの、すべての旋律はアーチを通って天を目指すものでした。その後、ルネサンス時代にギリシャ・ローマの古典が復興すると、混沌として未完成なゴシックの精神は退けられ、秩序と理性の音楽がイタリアを中心に花開きます。統制された旋律は、和声との完璧な調和を創り、それを立体的に聴くという新しい音楽のあり方が広まっていきました。

 バッハによるバロックの頂点を過ぎ、革命の時代になると、抑えられていたありのままの自然の姿を求める感情が、再びゴシック精神の復興をもたらします。そして、19世紀・ロマン主義において、旋律は感情を模倣し、喜びをもたらすものとして重要な表現の要素となり、近・現代に至りますますその可能性は広がって行きます。

 ここでは、次回公演のプログラムの中で、ゴシックの精神に構想の基盤を置いているロマン派・近代の作品について、‘旋律’をめぐる考察をしたいと思います。‘旋律’は、また‘線’をイメージさせるものでもあります。画家であり、音楽家でもあったルソー(171278)によれば、旋律は絵画のデッサンに当たると言っています。そして、書も「線の芸術」と言われ、書家は心に触れた詩や文の真の意味に向かって、筆が運ぶ線によって世界に切り込んで行きます。そこで、今回取り上げた各作曲家と、私自身が選んだ画家たちの創作の原点を照らし合わせ、各曲へのアプローチを試みたいと思います。それは、「オルガンと書」が響き合うクロスポイントを探る、ワンステップになるのではないかと考えます。

◆叙情詩 / カンティレーナ

G.ピエルネ(18631937)―――J.B.コロー(17961875) 

 「カンティレーナ」は穏やかな旋律を持つ歌ですが、器楽の場合、旋律は言葉に左右されず美的感情を客観的に表すことができます。その感情は、例えば自然の大きさや美しさに触れたときに沸き起こる敬神の念や、自然に対する信頼といった内省的な深さの表れとなります。

 18世紀に流行したイギリス式庭園は、絵画においても、ターナー(英)やコロー(仏)らによって「風景画」として広まりました。庭園は左右対称で幾何学的なそれまでの古典様式と異なり、変化に富んだ自然そのままの姿を造形しました。このゴシック復興による自然主義は、文学や他の芸術を通して、人々の世界観や人生観にも影響を及ぼしました。

 コローに見る自然の描写は単なる模写ではなく、作者が観察し発見した本質や独創性を、鑑賞者に語りかけるものです。メロディーラインは、風に揺れ舞い落ちるように弧を描き、私たちは作品に投影された詩的な情念を受け取るのです。

◆叙事詩 / 伝説Ⅰ 鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ

F.リスト(181186)―――ジョット(1267頃~1337

ロマン主義は、中世の詩や物語を源とする文学から他の芸術や思想へと広まり、歴史の大きなうねりとなりました。理性より感情、秩序より自由などの価値が優位となり、神秘的なものや超自然的なものへの関心が高まりました。音楽も演劇的要素が含まれ、器楽は感情表現や情景描写に自らを解放していきます。リストは、「標題音楽」という形式を提唱し、さらに「交響詩」という独創性を生み出しました。それはやはり、単なる自然描写ではなく、対象物への感情を束縛なく表出する情熱の表れと言えるでしょう。

アッシジの聖フランチェスコ(11821226)は、カトリックの偉大な聖人です。自然を愛し、清貧に徹して病める者たちの救済に生涯を捧げたその生き方は、今も世界の人々に感動を与えています。アッシジのサン・フランチェスコ大聖堂の壁面には、ジョットによる聖フランチェスコの生涯を描いた28場面のフレスコ画があります。その中に、フランチェスコが小鳥に説教をするという有名な伝説があり、このエピソードを題材として、メシアンはじめ様々な作曲家が曲を書いています。

リストの表現は、物語そのものの具体的な模写ではなく、人物や出来事について‘語って’います。聴き手は語り手と同じ感情を共有し、それによってその場にいるような臨場感を感じます。ここに私は、ジョットのゴシック絵画に見る、人物の表情やしぐさの豊かな自然描写に近い印象を持ちました。

◆素描 / ロマネスクのスケッチ 第3番 

 J.ラングレ(190791)―――P.クレー(18791940

 素描(デッサン、ドローイング)は、物の形や明暗などを平面に描く技法のことで、モノトーンの線が明暗や様々なニュアンスを表現します。それは、単なる下絵ではなく、作家の心象や考えの瞬間を描きとめた記録であり、独自の芸術として鑑賞されることもあります。

 ラングレは、フランク、トゥルヌミールの後継として、パリのサント=クロティルド教会のオルガニストを務めました。しかし、色彩的といわれるフランス・ロマン派の括りには当てはまらない個性が見られます。それは、「素描的」というものではないかと思うのです。その名の通り、彼は「ロマネスクのスケッチ」と「ゴシックのスケッチ」という小品集を書いています。19世紀以降、中世への憧れから詩歌の発掘・研究がさかんに行われ、賛歌や世俗曲を題材として多くの曲が生まれました。ここに取り上げた「ロマネスクのスケッチ 第3番」は、冒頭の単旋のテーマからさまざまな印象を線描画のように描き、遠い記憶の世界を想わせます。

 クレーの素描も、観察から呼び起こされる無意識が、単純な線の効果によって瞬間的に描きとめられたような印象を受けます。この線の迫力は、色彩よりも強く本質に迫るものであり、ここにラングレとの共通性を感じるのです。

◆輪郭と幻影 / テ・デウム  

P.アテニャン(1480~1553)/C.トゥルヌミール(1870~1939

―――M.シャガール(18871985

 ゴシック教会のシンボルのひとつはステンドグラスです。鉛のリムを用いて色ガラスの小片をつなぎ合わせる技法で、太陽光が当たると、その鉛は黒い線となってガラスの色彩とのコントラストを作ります。

 アテニャンはパリで出版業を営み、ノワイヨン大聖堂の典礼書出版を行いました。当時のミサでの奏楽は即興でしたが、彼はそれらを編集して手引書としました。ルネサンス時代においてもフランスの教会では、儀式の伝統から、その音楽にゴシックの影響が残っているのは自然なことだと思われます。

 時を経て、19世紀フランス・ロマン派オルガン音楽は独自の展開をします。それはカヴァイエ=コルが製作したオルガンと、広い空間や窓の光というゴシック教会の環境に呼応した、色彩と幻想的世界を生み出しました。トゥルヌミールは、世の中の唯物主義に対して、音楽を通してゴシックの神秘的世界を提示し、精神世界の再認識を促しました。

 一方、ロシア系ユダヤ人であるシャガールは、同時代パリで活躍しましたが、近代思想に基づく抽象的な芸術とは相反して、抒情と幻想のロマン主義に立っていました。多くのステンドグラスもてがけており、その色彩の扱いは詩的で主観的ですが、内面の本質を描写するその創作の精神は、ゴシックの自然主義に通じているのではないかと思われます。私は、ここにトゥルヌミールの神秘的オルガンの響きと共鳴するものを感じます。

 中世の賛歌「テ・デウム」をめぐり、ゴシックのステンドグラスの力強い‘線’と幻想の色彩は、音楽となって再び天を目指します。時代を越えて復興した自然主義が、新しい光となって生き生きと伝えられていることに、創造の素晴らしさを感じるのです。

2020.101

細川久恵

 

Photo :細川久恵