2021.17首都圏13県に緊急事態宣言発出、その後7府県追加

Part9  あらたまの春
 
 
静寂の中の祈り

 昨年末からの帰省や初詣などの自粛の呼びかけにも効果は薄く、新型コロナウィルス感染拡大はこれまでにないスピードで広がり、都市部を中心に緊急事態宣言が再び発出されました。欧米では家族や友人が集まってクリスマスを祝い、日本でも神社仏閣に詣でて新しい年の幸せを祈る―人々にとって、一年で一番大切な時間をコロナ禍は奪ってしまいました。どの民族においても、新しい一年を共に迎える喜びを分かち合う風習は歴史の中で育まれ、行事、しつらえ、食物など、そのひとつひとつには意味と願いが込められています。そしてそれは、人間と自然との関わりから生み出されたものなのです。

 リサイタルシリーズ第3回(2003年)では、「祈り」をテーマとする演奏会を行いました。美の多様性と調和、また移り行く時に見る永遠の美を「祈りの場」として、音楽と美術によってコンサートホールで再構築する、という試みを行いました。21世紀が始まったばかりのその時代は、グローバル化が加速する社会で生き残るにはどうすれば良いかが最大の関心事でした。911.以降、20世紀の戦争とは異なる‘テロ’という目に見えない敵に脅えながら、先進国では大量生産・大量消費、自然破壊、世界の分断を止められず、格差社会を大きくしていきました。20年近く経った現在、世界の状況はほとんど変わっておらず、皮肉にも自ら加速させたグローバル化によって新型感染症は瞬く間に世界に広がり、かつてない人類の危機に直面しているのです。

メスキータ大聖堂(コルドバ)
メスキータ大聖堂(コルドバ)

私たちはいったい何を祈ってきたのでしょうか。理性と自由を手に入れたかに見えた人間にも力の及ばないことがあります。その時人間は自分に都合よく、災難や禍を回避できるように神様に祈ってきたのではないでしょうか。

 私がこれまでに訪れた国内外の各地で、それぞれの国や地域の歴史に裏付けられた多様な文化に触れるとき、人間の創造の可能性というものに目を見張り刺激を受けてきました。しかしある時、その絢爛豪華な美しさや豊かな響きのうしろに、‘静寂’という宇宙が広がっていることに気付きました。祈りのための建築には、宗教を超えて共通する、神秘や安らぎが満ちています。規模の大小にかかわらずその空間には均衡があり、私たちの中にある調和への志向と呼応します。また現代人は、強い信仰の動機がなくてもグレゴリオ聖歌やアヴェ・マリアを聴き、禅寺の枯山水を眺め、社までの石段を上ります。この「美」という祈りの形に触れることで、人は安らぎ他者を想い、そのとき私たちは静寂の中にあります。

 宗教芸術に限らず、芸術の創造というものは祈りに通ずるものがあるのではないでしょうか。芸術家にとってそれぞれの創作には様々な動機や個性が絡み合っていますが、ひとたび作品に向き合えば、真実の断片をつかみ取ろうと心は‘空’となります。この「場」や「作品」の前の沈黙こそまた、祈りの原点ではないかと思うのです。

サン・ミニアート・アル・モンテ修道院からの夕景(フィレンツェ)
サン・ミニアート・アル・モンテ修道院からの夕景(フィレンツェ)

光と風の通り道

 そして、この沈黙の祈りは「風景」へと繋がっています。風景の中で人は育ち、人生を深め、命を創造して行きます。中国の古い伝説によると、「風」は鳳の形をした風の神で、その土地に風を送り、また人がその気を承けて風土や風俗が生まれるとされます。そして「景」は光によって照らし出される様子で、その言葉には自然の恵みと郷愁を感じます。

次回公演「音景」の構想は、‘丘’という地形から得たいくつかの瞑想的な体験から生まれました。丘は、平地や海沿いの小高い場所にあり、古くから戦のための要塞や城、修道院や寺院などが建てられました。眼下に広がる平地には人々の暮らしがあり、遠くの川や道からは近づく者の動きを一目で見渡すことができます。また森や林に囲まれ天に開かれた視界からは、雲の流れや太陽、月、星が近く見え、様々なインスピレーションを与えられます。建物の中では光と影により、また外では風の音や鳥の声によって静寂が際立ち、五感が研ぎ澄まされていきます。今では、崩れた古城は歴史のロマンへの憧れを誘い、中世の寺院などは都会の喧騒から離れた癒しのスポットになっていますが、かつては領土争いや宗教戦争の舞台でもありました。この小高い丘は、一方では欲望や残酷、一方では聖なるものへ向かおうとする人間の両面を俯瞰して見ることのできる、創造の場でもあるのではないでしょうか。

 

 ここで先人たちの詩歌が表わす、風景から霊感を受けた幻想的な世界に触れてみたいと思います。

 

『万葉集』より

天の海に  雲の波立ち

月の舟 星の林に

漕ぎ隠る見ゆ

1068 人麻呂歌集

 

(果てしなく広がる天の海に、雲の白波が立ち、その海を月の舟が漕ぎ渡って、星の林に隠れて行くのが見える。)解説:坂口由美子『ビギナーズクラシック・万葉集』角川文庫2007

サント・マドレーヌ大聖堂(ヴェズレー)
サント・マドレーヌ大聖堂(ヴェズレー)

寂光の丘

 201512月パリ・同時多発テロの直後、私はパリを離れてブルゴーニュ地方のヴェズレーを訪れました。丘の上に建つサント・マドレーヌ大聖堂は、ピレネー山脈を越えてスペインの聖地サンチャゴ・デ・コンポステラへの巡礼路の出発地のひとつです。人影もないロマネスクの柔らかな光に満ちた大聖堂から続く廊下を行くと、小さな御聖堂に修道士や修道女が集まり中世の伝統を守った聖務日課の祈りが始まりました。ほとんどを歌で唱えるその祈りの明るい響きに、凍り付いた身体が溶かされていくようでした。そしてそこに音楽の原点と真の目的を発見した思いがありました。祈りの時間が終わり修道院の裏手へ回ると、そこにはブルゴーニュの平野を臨む丘からの景色が広がっていました。冬枯れの森と曇りガラスをかけたような太陽、家々の煙突から立ち上る煙と鳥の声。そんな風景を眼の前にして、時空を越えて懐かしいもの、懐かしい人々、懐かしい時間に会ったように心が解き放たれました。

スバジオの丘(アッシジ)
スバジオの丘(アッシジ)

夢幻のかなた

 カトリックの偉大な聖人である聖フランチェスコ(11821226)が生きたアッシジも、イタリア・ウンブリア地方の丘の中腹にある町です。自然を愛し、世俗のものに興味を持たず、純粋で聖なるものへ向かう信仰に生涯を捧げました。サン・フランチェスコ聖堂には聖フランチェスコの生涯を描いたジョットによる28場面の壁画がありますが、その中に彼が夢から啓示を受けたエピソードがいくつかあります。

 O.メシアン(190892)はオペラ≪アッシジの聖フランチェスコ≫を作曲し、それは1983年パリ・オペラ座で小澤征爾の指揮により初演されました。メシアンは作詞も手掛けていますが、第2幕第6景の「小鳥への説教」の場面では、これまでの伝説にあるスズメや鳩ではなく、当時のヨーロッパには知られていないニュー・カレドニアの色彩のイメージと鳥たちの歌を取り入れています。同行していたブラザー・マセオが、「どうしてそんなことまでおわかりになるのですか?」と問うとフランチェスコは、「夢で見たのだ。」と答え、また「このウンブリア地方で私は、このような小鳥たちの声を聞いたことがありませんが。」と聞くと、「小鳥たちは私の夢の中で鳴いているのだ。」と話します。

 臨床心理学者でユング派分析家の河合隼雄氏は、夢にまつわる聖フランチェスコと日本の明恵上人の類似性について1983年に論文を発表し、2004年国際分析心理学会で講演を行っています。偶然にも二人は同時代にあって、純粋な信仰を中心とした生き方を夢から得ていること、自然を愛し、女性的なものを重視したこと、などの共通点が論じられています。また、西田幾太郎などの哲学者たちも、その生き方の原点に関心を寄せていました。中世の異端迫害の世にあって、聖フランチェスコはなぜこのような生涯を貫くことができたのでしょうか?意志の強さや宗教的神秘体験による奇蹟だけでなく、理論に頼らず祈りと瞑想の実践から導き出される自己の意識の奥にあるものに注目しています。そしてこの内省による徹底的な魂への傾聴は、自然への信頼に支えられていたのに違いありません。聖人には遠く及ばずとも、私たちはそこから、自然と共にある幸福という視点を思い起こすことができるのではないでしょうか。

 メシアンのオペラで、フランチェスコは鳥たちに「すべての美は自由に、栄光の自由に至るべし・・・・兄弟たる小鳥たちよ、主を讃えよ。私はお前たちに祝福を、十字架のしるしを与えよう。」と説教を締めくくっています。

 

モルヴァン山地の冬空(ヴェズレー)
モルヴァン山地の冬空(ヴェズレー)

私がこれまでに訪れた各地の‘丘’での「美の体験」は一本の線に繋がり、私の中で今回の表現の動機に繋がりました。次回公演では、静寂の前にただ立ち尽くす者の、祈りの音とかたちが響き合う場を伝えたいと思っています。

20211.13.細川久恵

 

Photo ;細川久恵

 

『思い出』        ウィリアム・アリンガム(182489

  池には四羽の鴨、

  彼方の岸辺には緑の草、

  春の青空、

  流れる白雲―

  とるにたらぬ風情ながら、

  なぜか年がたつにつれ思い出す、

  涙とともに思い出す!

『イギリス名詩選』平井正穂編/訳 岩波書店1990